他人の目を気にしない最近の若者
  今回の小論文は、7月の総合的な学習の時間に行われた「『他人の目を気にしない最近の若者』について、肯定あるいは否定のいずれかの立場を明確にした上で、あなたの考えを述べなさい」です。資料にあるJR車内の出来事は、みなさんも経験があると思います。さて、華陵の生徒はそれをどう受け取っているのでしょうか?
 なお、読みやすいように一部言い回しを変えてある部分もありますので、あらかじめ御了承ください。
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資料引用先:http://www.asahi-net.or.jp/~rk3k-nkym/oiru.htm
 満員のJRの列車、私の左隣の女子高生のケイタイが鳴った。驚くように大きな呼び出し音、響きわたる応答、誰はばかることがない。屈託がないといえばそうだ。たわいもないやりとりが延々と続く。急ぎの用でないことはたしか。微に入り細にわたる校則からの開放感か。疎外の激しい世の中への孤独への癒しか。まるで切れそうな糸を必死にたぐり寄せるように懸命だ。その間約20分。とうとう博多駅に列車が止まっても、おしゃべりは続いていた。ケイタイを耳に当てたまま雑踏に消えた。まったく二人の世界。周囲や他人は眼中にない。どこでもあることだ。バイクや自転車の運転も見ていられない。身体に自信があるのはわかる。だが「いのち」をどう思うのか。事故は他人の「いのち」を巻き込むことはわかっているはずだ。「じべたりあん」に聞いてみた。「いすに座るのはきつい。この方が楽だ。」の声も多かった。老人のわたしの方が気の毒に思ってしまう。だからといって、駅のホームや地下鉄の階段でデモンストレーションの必要はあるまい。(以下略)

 私は「他人の目を気にしない最近の若者」について否定的に捉えている。ただ、全否定というわけにもいかない。私も「他人の目を気にしない若者」世代の一人だからだ。
  だからといってケイタイの着信音などのマナー違反を肯定するわけにはいかない。あれは本当に周囲の人の気分を害する音だ。不必要に音が大きい。公共の場でマナーモードにしない、あるいはバスの中などで平気で通話することは、マナーを知っていれば絶対にできないことだ。
  しかし、周りの人が注意をすることはない。きっと皆迷惑がっているのに、「やめなさい」と止める人は誰もいない。それが他人の目を気にしない若者を増やした一つの原因ではないか。テレビや広告での呼びかけも、受け止められなければ意味を持たない。大切なのは、周りの人がその人に「マナー違反は恥ずかしいことだ」と教えることだ。
 以上を認めた上で、そのような若者の行動に対する大人の意見を私は否定したい。何かあるごとに「世の中の孤独」や「反抗」等の理由付けをし、全てを本人や世間のせいにするが、それが間違っているのだ。若者が他人の目を気にしないのは、ただそれが恥ずかしいこと、おかしいことだと知らないからだ。バスの中でケイタイが鳴ったら出て話すことを当たり前だと思っている。ただ、知らないだけなのだ。
 周りの人たちは、それを世の中のせいにしてはいけない。それを教えてやれない自分たちをまず見つめ直してほしい。そして、もし世の中のせいだと言うなら、そんな世の中をつくっている自分たちのせいだと気付くべきだ。たった一言教えれば分かることなのだから、子供に正面から向き合って言葉を交わすことが、他人の目を気にしない若者たちを減らす、一番の近道ではないかと思う。( 2年  E.F)

 私は他人の目を気にしない、マナーの悪い人間は基本的に嫌いだ。見ていて見苦しい。最近は、とくにそんな人間が増えてきた。そして大人たちは「まったく、最近の若い者は…」と言う。私も、若者にはそんな人間が多いと思う。だが、「他人の目を気にしない」のは、本当に若者ばかりだろうか。
  もう少し周りの様子を見てみよう。道のど真ん中で大声で立ち話に興じているおばちゃん軍団、傘で素振りをしているおじさん(漫画だけと思っていたが、実際に居てかなり驚いた)、バスの中で携帯電話で話し、運転手さんが注意してもやめないおばさん。私の目には、若者だけではなく、そういった大人の姿も映っている。「他人の目を気にしない人間」というのは、何も若者だけではないのだ。
  「大人の全部がそうではない」という人もいるだろう。だが若者全部もそうではない。私は自分が「最近の若者」という年齢になってしまって、ひっくるめて判断されるのが果てしなく嫌いだ。だいたい、「今の 16才の世代から急に変わった」という事は無いはずだ。現在の大人の年齢の人たちの代から少しずつ変わってきているはずだ。
  大人の背中を見て子供が育っていくことは、昔から言われている。だから「若者が…」「最近の若いのは…」などと言うのはやめてほしい。(1年 A.H)

 私も、人目を気にせずケイタイを使って大声で話している若者をよく見かける。私はそのようなことはしないので、その人たちの気持ちや考えはよく分からない。駅や電車の中は色々な人々が集まる公共の場なので、たとえケイタイを使わなくても、大声で話すことはマナー違反だ。特に電車の中は密室であり、中には仕事などで疲れている人も多いだろう。そういう人たちにとって人が大声で話す音は大変な雑音になるはずだ。一つの大きな社会にたくさんの人々が共存しているのだから、いくら個人の自由が認められるといっても最低限の気遣いは必要である。できれば最低限以上の気遣いがほしいと思うのは、おそらく私だけではないだろう。
 他人から嫌なことをされればキレてしまうのに、自分は平気で他人に迷惑をかける若者(もちろん若者だけとは限らないが)は、明らかに矛盾している。それが悪いことだということはその人たちにも分かっているだろうから、あとは自分がどれだけ自分以外の人のことを考えてあげられるか、罪悪感があってもそれを自分が感じるか感じないかが重要なのだ。
  「自分がされて嫌なことは人にもするな」とよく言われるが、「自分がされて嫌ではないことでも、他の人たちは嫌かもしれないから気をつける」という意識が大切である。もう少しだけ、周りを見渡す目をもてれば嬉しい。(2年 S.M)